ソフトテニスの熟練者における時間感覚の変容 日本代表経験選手の例をメルロ=ポンティとバタイユから読み解く

一般演題(ポスター発表) P-03

○勝又大

背景

フロー(Csikszentmihalyi 1990)体験の際には、自意識が消失したり時間感覚が変容したりすると言われている。哲学では、メルロ=ポンティの議論から取り出された「特権的瞬間」(木田 1984)やバタイユの「内的体験」(Bataille 1943)の概念にフローと共通する面があるが、これらの諸概念をソフトテニスに適用し、その関係を明らかにした研究はない。

目的

ソフトテニスの熟練者が最高の能力を発揮する際の精神状態や時間感覚を明らかにする。また、バタイユやメルロ=ポンティの議論がスポーツにも妥当することを確認して、その議論の正当性を傍証する。

方法

ソフトテニスの日本代表経験のある A 選手を対象にインタビューを行い、その体験談に基づく質的分析を行う。その際には、主に和田康『歴史と瞬間』で整理されているバタイユの時間論やメルロ=ポンティの『知覚の現象学』で展開される身体論に依拠して分析を行う。

結果 及び 結論

A 選手によれば、強いフローを経験する前は不調のことが多く、そこから「開き直」ったり「諦める」ことでフローに入る。フロー時には時間感覚が変容し、「ボールがゆっくり見え」たりポイント間の「つながり」が見失われたりする。これをバタイユに即して考えると、未来の目的を目指した「企て」が挫折することで、神秘体験に似た「内的体験」への移行が起きていると言える。

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