基調講演

演題 ソフトテニスの医科学研究に携わらせて頂いて

講 演 者:水野 哲也(東京医科歯科大学・教授) 指定討論者:石井 源信(東京工業大学・名誉教授)

講演者略歴 水野 哲也


1955 年 兵庫県西宮市生まれ
1977 年 東京教育大学体育学部・卒業
1979 年 筑波大学大学院体育科学研究科・修士課程修了
1979 年 東京医科歯科大学教養部・助手
1983 年 JOC 強化スタッフ・トレーニングドクター(ソフトテニス競技)
1991 年 日本ソフトテニス連盟ナショナルチーム・コーチ
2005 年 第 4 回東アジア競技大会(マカオ)ソフトテニス日本代表・医科学スタッフ
2008 年 東京医科歯科大学教養部・教授

指定討論者略歴 石井 源信


1947 年 東京都三鷹市生まれ(後に広島県福山市に転居)
1970 年 広島大学教育学部・卒業
1973 年 東京教育大学大学院体育学研究科・修士課程修了
1973 年 中京女子大学体育学部・講師
1976 年 東京工業大学工学部・助手
1993 年 同 ・教授
1996 年 東京工業大学大学院社会理工学研究科・教授
2011 年 日本スポーツ心理学会・会長
2013 年 東京工業大学・名誉教授(定年退職)

 

はじめに

この度は、日本ソフトテニス研究会第1回大会の開催、誠におめでとうございます。

会の開催にあたり運営委員の先生より基調講演のご依頼を頂きました。その際、「講演の内容として、基本的には私のソフトテニスの学術研究に対する思いを自由にお話頂ければ良いと思いますが、出来れば、ソフトテニス医科学研究会設立当時のソフトテニス界の様子や経緯、その後のソフトテニス(軟式庭球)研究の発展、さらに若い世代へのメッセージなどを含めて頂きたいと思います」というご要望を頂きました。どこまで、そうした期待にお応えできるかは分かりませんが、精一杯努めさせて頂きたいと思います。

ソフトテニス医科学研究会開催までの経緯

皆様もご存知のとおり、ソフトテニス(軟式庭球)は日本で生まれたスポーツです。とはいえ、そのルーツはヨーロッパで始まったテニス(ローンテニス)にさかのぼります。また、日本におけるテニスの始まりについては諸説ありますが、1978 年頃に体操伝習所のリーランド氏によってローンテニスが紹介され、その後坪井玄道氏によってその後体操伝習所を併合する東京高等師範学校(さらにその後東京文理大学➡東京教育大学➡現筑波大学)でゴム球を用いてテニスの手ほどきをしたことがその始まりであるというのが一般的な見解です。その後、日本人の生活の知恵により三田土ゴム会社(現在の(株)ショーワコーポレーション)でゴムボールが開発されたことが契機となり、軟式庭球として急速に全国に広まり、これまで学校体育を中心に普及、発展してきたと考えられています。

近年になり、その国際化と相まって 1992 年に「軟式庭球」から「ソフトテニス」に名称が変更され、1994 年にはアジア競技大会の正式種目となりました。その間、幾度かのルール変更が行われましたが、同一ゲームの中で2人が2ポイントずつサービスを交替するルールでのダブルスが定着し、多くの大会でシングルスも正式に導入され、現在に至っています。

2014 年にはソフトテニス誕生 130 周年、日本連盟創立 90 周年のが催されるなど、現在でも老若男女を問わず約 50 万人以上の愛好家やアスリートに愛されるスポーツとして発展を続けています。

一方、スポーツの科学的研究は、我が国においては 1964 年の東京オリンピック開催を機に急激に進歩した分野であり、スポーツ先進国と呼ばれる欧米各国では、すでにスポーツの普及、発展並びに競技力向上に欠かせない存在として、ますますその必要性が増すとともに発展している領域と言えるでしょう。

そうした中、ソフトテニスに関する医科学研究も古くは大正時代から多くの研究者によって進められて来ており、それらの情報はすでに様々な形でソフトテニスの普及、発展に寄与してきました(これらの具体的な内容に関しては、1984 年に表先生(元神戸松陰女子学院大学教授)を中心とした大学研究者のグループが「軟式庭球の研究書文献目録」にまとめられており、その中で研究分野別での比率は、技術・指導的なものが 50.7%と最も多く、次いで戦略・戦術的なものが 17.6%、心理学的なものが 10.4%と続き、社会学的・史学的なものが 8.5%、生理学的なものが 7.6%、その他が 5.2%であったと報告されています)。

その後日本体育協会やオリンピック委員会(JOC)の強化事業とも相まって 1977 年頃から日本ソフトテニス連盟にも科学研究班が編成され、その活動が組織的なものとなりました。参考のために 1982 年~2001 年までの日本体育協会並びにオリンピック委員会関連を中心とした報告書のリストをここにお示ししておきます(この中には、1990 年に日本軟式庭球連盟として初めてまとめた“平成元年度 スポーツ医科学研究報告書”も含まれています)。ここで、これらの内容を見て頂くとお分かり頂けるように、その研究の多くが競技力向上に結び付く内容(選手の体力並びに心理的適性、ゲーム分析、スポーツ障害調査、栄養調査、技術解析、コンディショニングなど)となっています。つまり、当時か ら日本のスポーツ科学は競技力向上、特に国際競技力に結びつく内容を指向するようになり、多くのスポーツ現場においても医科学的研究成果の有効な活用が求められるようになってきました(現在の指導者育成プログラムでもこのことが重要視されています)。こうした流れはソフトテニスでも例外ではなく、我々のような研究者間においても定期的な研究会議の開催を通して収集分析した情報を洗練して現場に還元する方法が検討されるようになりましたし、現場との連携ということで強化委員との意見交換会も行われていました。また、競技現場への医師やトレーナーまたスポーツ科学者の帯同が行われるようになり、指導者講習会等でも科学的な研究成果が講義されるようになったのもこの頃からです。そして、そうした機運がソフトテニス界における第1回ソフトテニス医科学研究会の開催に繋がったと言えるでしょう。

ソフトテニス医科学研究会の開催とその内容

こうした経緯から、多くのソフトテニス関係者の自己研鑽の場として第1回のソフトテニス医科学研 究会が 1995 年、岐阜市で行われた第 10 回世界ソフトテニス選手権大会と並行して開催されました。 この会は当時より特に県レベルでも国際競技力の向上に力を入れていた(財)岐阜県スポーツ振興事業 財団・スポーツ科学トレーニングセンターと日本連盟との共催で実施され、内容は、

  1. 研究報告
  2. 講演
  3. パネルディスカッション

の3つのセッションから構成されました。

医科学研究報告ではソフ トテニス選手の体力(川口先生)、心理特性(石井先生)、技術のバイオメカニクス(濱先生)、医学的サ ポート(福林先生)、そしてゲーム分析(工藤先生)等が報告され、次いで韓国からお招きした郡山大 学学長である李先生に「韓国のソフトテニスの現況と展望」というテーマで講演頂き、最後にパネルデ ィスカッションとして、指導者(三浦先生)、選手(稲垣先生)、医科学研究者(中島先生、川口先生) の立場から各先生方にご登壇頂き、忌憚ないご意見を頂きました。

また、第2回のソフトテニス医科学研究会は 1996 年 8 月、全国大学ソフトテニス選手権大会(イン カレ)に合わせて山形県総合スポーツセンターで開催されました。

第2回のテーマは第1回の参加者か らの希望もあり、「ソフトテニス選手のより良いコンディションづくり」とし、まず、研究報告では、 ナショナルチーム選手のコンディション(水野)、男子選手の筋力特性(川口先生)、女子実業団選手の メンタルトレーニング事例(山本先生)、トップ選手のバイオメカニクス研究事例(楠堀先生)が報告 されました。次いで、山形大学よりお招きした大貫先生に「テニスの基本動作と呼吸調節」というテー マでご講演頂いた後、教育講座として永井先生の「ソフトテニス選手のトータルコンディショニング」、 ワークショップとして藤井先生の「現場での応急処置とテーピング」を開催しました。また、この大会 ではインカレ会場ということで、はじめて会場にトレーナーテントを開設しましたし、この年ソフトテ ニス医科学研究会のホームページも開設しました。

第 3 回ソフトテニス医科学研究会は 1998 年 2 月に日本体育大学で行われた ʻ98 リーダースセミナ ーʼとの同時開催でした。このイベントは西田先生企画の基、我が国では最大規模の指導者が集まられる 機会ということから、テーマは「医科学研究成果の現場への還元」とし、“応急処置とテーピング”(藤井先生)、“ソフトテニス選手のコンディショニング「自分の体は自分で守る」”(中島先生)、“ジュニア期の ライフマネージメント”(永井先生)の3つのワークショップのほか、参加される先生方にいつでも研究 成果や内容を見て頂くことが出来るようにという配慮から研究発表は全てポスターとしました。研究報 告の件数も 2 桁になり、ゲーム分析によるソフトテニス選手の体力特性(川口先生)、ソフトテニスダ ブルス競技におけるネットプレーヤーのゲーム中の動きについて(楠堀先生)、選択反応課題時のソフ トテニスのグランド・ストロークの動作分析(楠堀先生)、インカレ出場選手のコンディショニングの 実態調査(中島先生)、ソフトテニスのスポーツ外傷および障害(野間先生)、中学ソフトテニス選手の 競技不安について(小山先生)、足関節捻挫防止サポーター「クリエイター」と各種サポーターとの固 定力の比較(藤井先生)、女子インターハイ出場選手のコンディショニング事例(水野)、ナショナルチ ーム選手の医科学的サポート(水野)、ソフトテニス医科学研究会のホームページ(工藤先生)などが その内容でした。

その後の活動

このように、ソフトテニスの医科学研究は少しずつですが活動の輪が広がるとともに質の向上が図ら れ、現場での認知度や必要性が理解されて行ったように思います。その後、日本連盟内の強化並びに医 科学関係者の方々のご尽力で、ナショナルチームにトレーナーポストが定着するようになりました。

また、定期的な強化合宿では医師のメディカルチェックや心身のコンディションチェック、また栄養調査 結果に基づく食事指導、さらには国際大会に向けた選手のメンタルサポートやゲーム分析など、選手が 質の高い医科学サポート体制の中、高いコンディションを持って国際競技会に臨めるようになったのも、 こうした継続的な取り組みの結果だと思います。また、コーチ研修でも医科学研究成果が必修科目とし て取り上げられるなど、こうした地道な活動と成果はソフトテニスの発展に少なからず寄与しているも のと確信しております。

平成14年以降は、毎年ヨネックススポーツ振興財団からの助成を受けながら、男女のトップ 選手が JISS(国立スポーツ科学センター)に集まり、TSC(トータルスポーツクリニック)と併せた医科学的なコンディションチェックを受ける機会が継続されていることも重要な活動内容のひとつです。

この機会は日本を代表する若手のトップ選手が集まる貴重な場であることから、日頃強化現場で明らか にしたい課題の科学的検証や若手選手への貴重な教育の場としても活用されており、こうした年間を通 した活動や医科学研究の成果を医科学研究報告書として継続的に報告されていることも評価すべきこ とであると思います。

まとめにかえて

私は東京教育大学の出身です。そして、私は若い頃、我が国におけるソフトテニス誕生の地とされる “占春園”コートで無心に白球を追いました。今こうしてソフトテニスでのお仕事を振り返ってみると、 実に多くの時間をソフトテニスのことに費やしてきたなと感じます。でも、全く後悔はありません。というより感謝の気持ちでいっぱいです。

私の大学時代の恩師であり軟式庭球部部長でも在られた田中英彦先生は、いつも私に「やりたいことをやりなさい」、「本当に君がやりたいことをやりなさい」と言って下さり、その言葉を信じてソフト テニスのボールを追い、また医科学研究にも携わらせて頂きました。田中先生はいつも優しい 口調で、「しっかりやりなさい」、「やる以上は、中途半端はだめだよ!」ともおっしゃいました。ですから、ソフトテニスに関することはたくさん学び、勉強したように思います。

もうひとつ田中先生は私に、「やりたいこととやるべきことの間を埋めるのも君の仕事だ」ともおっしゃいました。今もその教えに従って仕事を続けていますが、本当にそれで良かったと思っていますし、これからもそのように生きて行こうと思っています。

そんなわけで、私がソフトテニスの科学研究をやるようになった きっかけは極めて単純で、単にソフトテニスに関わることが好きだったからです。もちろん好きなもの ですから、興味もありますし、当時は「科学的」というのは何か物事を考える際に不可欠なことのように考えておりましたので、知らず知らずのうちにソフトテニスを考える時には科学的というか分析的に考えるようなっていたように思います。

もう一つ、絶対に忘れてはいけないこととして、私は仲間というか人に恵まれました。今も恵まれていると思います。

まずは石井源信先生との出会いです。おそらく、私は石井先生に巡り合っていなかったらここまでソフトテニスと関わることはなかったと思います。ですから、石井先生には心から感謝しております。本当に有難うございます。

福林徹先生。福林先生にはソフトテ ニスを超えて、本当にたくさんのことを教えて頂きました。有難うございます。そして山本先生です。 おそらく山本先生は、今も私のことを『単に訳の分からないやっかいな(融通性の効かない)先輩だ』と 思っておられると思います。事実そうですから・・・。

でもいい仲間に巡り合えないといい仕事は出来 ないように思います(私がしてきた仕事が良かったかどうかは別にして・・・)。

それから、工藤先生です。彼もおそらく私のことを山本先生と同じように思っていると思います。そして、井箟先生、杉山 先生、野間先生、中島先生、楠堀先生、井田先生、川上先生・・・、皆様、本当に有難うございます。

もう一つ感謝すべきは、選手や指導者、そして日本連盟の皆様のことです。これは研究が進められたということだけではなく、皆様とご一緒に仕事させて頂き、いろいろお話しさせて頂けたことが本当に血となり肉となって今の私を支えているという実感があるからです。日本代表とともに多くの国際大会をともに戦い、ともに準備し、ともに汗を流し、涙してきました。そしてその体験こそが明日 へのモチベーションになり、また頑張ろうという活力の源になっていたことは紛れもない真実です。

選手や強化に携わる皆さんとの体験から、私は「成功の秘訣は、成功しようという意力とそれに伴う努力、 そして何より重要なのは何事もけっして諦めず、自分を信じ、仲間を信じ、そして心を一つに和合結束 することである」を学びました。是非、これからを担う若い世代の方々にも、多くのソフトテニスやその科学研究に携わる中で、そうしたかけがえのない体験をして頂き、たくさんの学びをして頂けたらと思います。ソフトテニスやその科学研究そしてそれを共有する仲間にはそれだけの価値があるのですから・・・。

最後になりましたが、これまでにお世話になりました多くのソフトテニス並びに医科学研究に関わっ て頂きました多くの方々に、この紙面をお借りして、心よりの御礼を申し上げます。誠に有難うござい ます。

参考文献

表 孟宏 編著(1985)、日本庭球史-軟庭百年-、(株)遊戯社 茗渓軟庭百周年記念事業実行委員会(1988)、茗渓軟式庭球百年史、(有)アトミ出版 表 孟宏ほか(1984)、軟式庭球の研究書文献目録、松蔭女子学院大学 松蔭女子学院短期大学 学術研 究会研究紀要 人文科学・自然科学篇 第 26 号、1-29 (財)日本体育協会スポーツ医・科学研究報告 平成 6 年度(1982)~平成 11 年度(2000) 東京体育学研究(1984) 平成元年度 (財)日本軟式庭球連盟 スポーツ医科学研究報告(1990) (財)日本オリンピック委員会 平成 12 年度 競技間サポートシステム調査研究 フィットネスチェ ック項目検討委員会報告書(2001) (財)日本ソフトテニス連盟 ソフトテニス医科学研究会 抄録集 第1回(1995)~第3回(1998) (財)日本ソフトテニス連盟 強化委員会 医科学部会(2004~2016) 日本ソフトテニス連盟医科学研究報告書 平成 14・15 年度~平成 28 年度

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